大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和49年(オ)1172号 判決 1978年7月18日

上告人

国鉄労働組合

右代表者中央執行委員長

村上義光

右訴訟代理人

小林直人

外四名

被上告人

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

右補助参加人

右代表者法務大臣

瀬戸山三男

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小林直人、同伊達秋雄、同大野正男、同宮原守男、同西田公一の上告理由第一点について

所論の公共企業体労働関係法(昭和二七年法律第二八八号による改正前の昭和二三年法律第二五七号、以下同じ。)三五条但書の規定が憲法二八条及び三一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和四四年(あ)第二五七一号同五二年五月四日大法廷判決・刑集三一巻三号一八二頁)の趣旨に徴して明らかである。論旨は、採用することができない。

同第二点について

財政法三三条に規定する予算の移流用に関する大蔵大臣の承認は国家財政全般の見地からされるべき高度に政治的な裁量行為であるから、右の承認がない以上、公共企業体の経理を客観的にみるときは目の流用によりその支出が可能であるとの理由により、公共企業体の職員の給与の改善を内容とする支出であつて既定予算の給与の目に計上された金額を超えるものを、公共企業体労働関係法三五条但書がよるべきところとしている同法一六条にいう「公共企業体の予算上……不可能な資金の支出」にあたらないものとすることは、できない。これと同趣旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第三点について

所論は、要するに、損失補償的ないし損害賠償的な性格をもつ仲裁裁定に公共企業体労働関係法三五条但書を適用することは、公共企業体の職員のもつ損失補償請求権ないし損害賠償請求権を侵害するものであるから、本件仲裁裁定につき同条但書の適用があるとした原判決は、憲法二九条、三一条、二八条に違反する、というのである。しかしながら、本件仲裁裁定による権利は、被上告人の経理上の都合によりその職員が被つた待遇の切下げを是正する意味合いをもつものであるとしても、それが仲裁裁定によつて認められたものである以上、債務不履行、不法行為等によつて当然に発生する特定の具体的な損失補償請求権ないし損害賠償請求権とは法律上その性質を全く異にするものといわなければならない。これと異なる見解に基づき原判決の違憲をいう所論は、その前提を欠き、失当である。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(天野武一 江里口清雄 高辻正己 服部高顯)

上告代理人小林直人、同伊達秋雄、同大野正男、同宮原守男、同西田公一の上告理由

第一点 <省略>

第二点 原判決は公労法三五条但書の解釈適用を誤まつた違法がある。

(一) 原判決は、公労法上の仲裁裁定について「国鉄の経理を客観的にみて既定予算内における『目』の流用により裁定の履行が可能であつても、大蔵大臣がその流用を承認しないときは、右((公労法三五条))にいう予算上不可能な資金の支出に当る」旨判示し、仲裁委員会が昭和二四年一二月二日にした裁定第四項に基づいて昭和二五年三月三一日にした第一審判決別紙(二)の仲裁指示(「三億二百四十三万七千円の支払いの際はその配分方法は職員一人当り一率に六百五円とすること」)を実行する義務が被上告人にあることを否定した。

しかしながら、右の如き解釈は、争議権禁止の代償措置としての機能を低くし、政府機関が当事者的立場にあることを無視するもので、憲法二八条及び公労法制定の趣旨に照らし誤まつているといわざるをえない。

(二) 原判決によれば仲裁裁定は行政機関たる大蔵大臣を全く拘束せず、公企体等の経理を客観的にみて支出可能な場合においてすら、大蔵大臣の移流用・予備費の支出の承認がない限り、「予算上資金上不可能な資金の支出」として、裁定の効力を否定することになる。

そもそも、原判決も認めるように、国鉄の人件費は予算上「目」において規定されており、その人件費は前年度と同じか又は高々五パーセントだけ前年度分より加算して計上されているにすぎないから、賃金に関する仲裁裁定はすべて「目」に定める額を超え、仲裁裁定の履行には常に予算の移流用・予備費の支出を要することになつている。ところで原判決の如く解すれば、その承認をするか否かは大蔵大臣の行政的政治的裁量に委ねられるというのであるから、仲裁々定に効力が生ずるか否かは一に大蔵大臣の自由裁量如何にかかるという他はない。つまり仲裁裁定の効力よりも大臣の裁量が優位することになる。

元来、仲裁委員会は、準司法機関であり、仲裁手続は司法手続に準ずるものである。仲裁裁定は判決に等しいものであり、通常の民事仲裁手続においても、「仲裁判断ノ効力ハ、当事者間ニ於テ確定シタル裁判所ノ判決ト同一ノ効力ヲ有ス」るのである。(民事訴訟法第八〇〇条)

他方、政府は公企体等の賃金紛争に関しては、五現業にあつては当事者そのものであり、三公社にあつても、これを指示監督をする立場上当事者に準ずる地位を有する。原判決の如き解釈をとれば、紛争の一方当事者ないし準当事者の政治的裁量により、本来当事者を拘束すべき裁定の効力が左右されることになるが、それはもはや仲裁裁定の名に値しない、いわば「勧告」と同様のものになるであろう。

仲裁裁定が、客観的に公企体等の経理の範囲をこえ、あらたに予算措置を講ずる必要がある場合に、国会の予算審議権との関係において、あらたに国会の承認を要するということに立法上の合理性が認められるとしても、国会が既に承認した予算の枠の範囲内において支出可能であり、あらたに国会の承認を求める必要が全くないにもかかわらず、当事者ないし準当事者の立場にある行政機関が支出の可否について無基準の裁量権をもつというのは不合理である。原判決は、国会の予算審議権と大蔵大臣の承認権を全く同一に評価しているが、前述のように、国会と、政府機関である大蔵大臣の立場は仲裁裁定においては全く異なるのである。

そもそも公労法三五条但書によつて引用される公労法一六条が「予算上資金上不可能な資金の支出を内容とする」裁定の場合これを国会に付議しその承認を求めるべきだとしたのは、予算の移流用等によつてまかなうことができずあらたに補正予算を必要とする場合に国会の予算審議権との関係で国会の承認を要件としたものである。もし、「予算上不可能な資金の支出」の意味を、既に定められた予算の「目」である給与総額を超える支出の意味であると立法者が考えたならば、その場合支出の承認権をいきなり国会に与えることなく、明文をもつて政府ないし主務大臣にその承認権を与えている筈である。

公労法三五条但書は、国鉄の経理を客観的にみて既定予算内における「目の流用」や予備費の支出でまかなえる場合は直ちに支払義務を生ずるものとし、予算の枠内で処理が不可能で補正予算を必要とする場合に限り予算の審議権との関係で国会に承認権を与えたと解するのが合理的である。

これは殆んどすべての学説の承認するところである(例えば、吾妻光俊「続労働法」一六九頁、柳川真佐夫他「全訂判例労働法の研究」下巻一二八九頁、松岡三郎他「条解公労法・地公労法」一〇〇頁以下、峯村光郎・有泉享「公労法・地公労法」一一三頁。なお同旨の判例として、東京地裁昭和二五年二月二五日判決・労民資料八号一六〇頁、東京地裁昭和二五年四月一九日判決・労民資料八号一九五頁、東京高裁昭和二五年一一月二八日判決・労民集一巻六号一一四九頁)。

(三) 原判決は予算の移流用は大蔵大臣の政治的行政的立場から判断すべきであるというが、政治的行政的立場によつて、公企体等職員の最後のより所である仲裁裁定、特に労働条件の中枢をなす賃金の仲裁裁定の効力が左右されるべきものではない。それなら仲裁制度を設ける意味はない。中立的第三者機関の裁定に行政機関が服してこそ制度の意義が存するのであつて、支出可能か否かについても第一次的には専門機関である仲裁委員会の判断に従うべきものである。

この点、本件において特に留意しなければならないのは、上告人において実行義務の確認を求めている昭和二五年三月三一日仲裁指示第三号は、仲裁委員会が、国鉄において支出可能であると判断した上でなした仲裁指示であることである。

すなわち、仲裁委員会が昭和二四年一二月二日なした仲裁裁定は、第一審判決別紙(一)のとおり総額四五億円であるが、大蔵大臣が移流用を承認したのは一五億五〇〇万円である。ところが、被上告人自身は一八億七四三万七千円が支出可能であるとして、費目の流用の承認を求めていた。そこで上告人はその差三億二四三万七千円について、予算上資金上支出可能であるとして、仲裁委員会に、前記仲裁裁定第四項にもとずく指示を求めたところ、仲裁委員会はこれを支出可能として、本件仲裁指示を行つたものである。

このように、本件仲裁指示は、三億二四三万七千円の支出が可能かどうかについてなされた仲裁委員会の判定であつて、単なる賃金額の決定ではない。

仲裁委員会の右判定は、同委員会が準司法的機関であり、かつ専門機関であることの性格からして、司法裁判所においても十分尊重すべきものである。

然るに、右仲裁々定の効力を当事者に準ずる立場にある大蔵大臣の裁量の下位におき、その裁量を全くの自由裁量であるとして、逆に仲裁々定の効力を制限しようとするのは、まさしく本末顛倒であり、中立的な準司法機関の判断を行政機関の政治的判断に従属せしめる結果になる。それでは労働権の保障にはならない。

仲裁委員会の判定は、そのおかれた憲法上の意義、委員会の専門的性格、仲裁機関たる性格からみて、行政機関の判断に優位すべきである。

(四) 原判決は仲裁裁定の拘束力よりも、政府の裁量権を優位させるように本条項を解釈適用しても、政府には裁定実施のための努力義務があるから、「政府及び関係者の良識により事態の円満な処理が可能なのであつて、仲裁制度が国鉄職員の権利の保護に資する程度は、争議権の行使による場合に比して著しく劣るものとはいえない」旨判示する。

一体「政府および関係者の良識」とは具体的に何をさしているのであるか、国鉄当局自らが支出可能だとした一八億七四三万八、〇〇〇円のうち、一五億五〇〇円の流用しか承認しなかつたことが、「政府の良識」というのであろうか。最終的に労使を拘束すべき「仲裁裁定」の効力が結局「政府及び関係者の良識による事態の円滑な処理」という全く政治的かつ無内容な期待におきかえられてもなお労働基本権の保障の名に値するであろうか。原判決すら「賃金改訂についての仲裁裁定のうち実施されなかつたものもあり、また実施の時期が裁定の指示した時期よりも遅れたものが尠なくないことは公知の事実である」旨認めているのに、「関係者の良識による事態の円満な処理」というのは余りに空々しくないであろうか。更にはこのように実質を失つた仲裁制度でも国鉄職員の権利の保護に資する程度は「争議権の行使による場合に比して著しく劣るものとはいえない」とは、一体何をどう比較していうのであろうか。

われわれは裁判所がこのような空虚な言葉を連らねることによつて、労働基本権の制限及びその代償措置としての仲裁裁定の空文化を安易に認めることを深く憂えるものである。

そもそも、労働基本権たる争議権の全面一律禁止が違憲であることを訴えれば、「仲裁裁定という十分な代償措置があるから違憲でない」といい、仲裁裁定の拘束性を主張すれば、「国政全体の配慮から政府機関の行政的配慮に委ねられるべきである」という。

このような判断が果してよく裁判所に対する国民の信頼を維持するに足るものであろうか。

第三点 <省略>

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